みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

年老いたときも

詩篇 71篇

 日曜日の礼拝には、お借りしている教会の皆さんが何人かおいでになりました。伺うと、教会が統合したために地元の教会での礼拝は月に一度しか持たれないとのこと。第一日曜日は二か国語礼拝として行われていますので、宣教をお届けできます。次回は、いっしょに歌うことのできる讃美歌を用意して臨みたいと思いました。

 今日と明日は詩篇を読みます。詩篇71篇は神を避け所として拠り頼む一人の年を重ねた信仰者の切なる願いと、神への心からの賛美です。

 何歳になっても神に身を避けられるのは幸いなこと、というのが全体を読んで思ったことです。彼は神を、「主よ」と呼びかけ、「私の避け所の岩」「私の巌(いわお)」「私の砦」「私の望み」「(私の)若い日からの拠り所」「私の力強い避け所」と歌います。「私の…」と言えるのが、彼の神への信仰です。

 年老いた彼には、なおも敵がいます。敵は「神は彼を見捨てた…救い出す者はいない」と一人の老人の確信を揺るがそうとします。しかし確信は揺るぎません。

 18節の「年老いて 白髪頭になったとしても 神よ 私を捨てないでください」ということばに目が留まります。私はまさに白髪頭。電車やバスに乗ると、席を譲ってもらうような風采をしているのでしょう。嬉しいような残念なような複雑な思いを持ちながらも、「ありがとう」と心から感謝して座らせてもらいます。さらに、年老いてもなお信仰者は神の力を世に告げ知らせることができるのです。

 20節を読んで、「おきあがりこぼし」という玩具を思い浮かべました。年老いた信仰者が多くの苦難とわざわいの中を通されても、自分の努力で克服して今があるのではない(実際には多くの努力を費やしたにしても…)、神はここまで導いてくださった、そしてこれからもそうだという確信と希望がここにはあります。

 だとしたら、いつになっても信仰者が為すべきは、神をほめたたえること。このような幸いを賜わった主を賛美して歩みます。