エレミヤ書 29章1−14節

昨日はテサロニケにあるパウロと関係のある場所を中心に訪ねました。
テサロニケの信徒たちに送った手紙の初めの部分に、パウロは福音を聞いたこの町の人々が多くの苦難の中で「聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちに、そして主に倣う者」となったと書きました。さらに主のことばが、テサロニケからマケドニア、アカイア(現在のギリシア南部)に響き渡ったとも書いています。
エコンヤ王(エホヤキン王)たちがバビロンに捕囚された後、エレミヤはバビロンに捕囚されたすべての同胞に手紙を送りました。
内容は、バビロンにいることを嘆くだけのではなくそこから立ち上がって、家を建てて住み、果樹を植え、妻を迎えよというものでした。さらには、子どもたちを結婚させ、増えよというのです。それはつまり、バビロンでしっかりと生活をするようにということです。
彼らはすぐにエルサレムに戻ることができるという希望を持っていました。それは、この章の後半が伝えるように、すぐにバビロンから戻ることができるというメッセージを偽預言者が吹聴したことからきたのかもしれません。
しかし、エレミヤは70年間はとにかくこの地、バビロンに根を下ろして生きよ、それが神があなたがたのために立てている計画だと伝えます。
そのような流れで見ると、「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている……わざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」という11節のことばの意味がくっきりしてきます。
平安、将来、希望、それらは誰もが必要としているものです。しかしそれらは、ただ11節の約束を「お守り」のようにするのではなくて、その前に主がエレミヤによって語った命令を、捕囚の民が守ることによってかたちになるのです。
それは私たちにも全く同じことです。