みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

心に書き記される律法

エレミヤ書 31章23−40節

 月曜日はアテネのアクロポリスを訪ねました。写真などの映像で見ることはあっても、実際に見上げるのは初めてでした。アクロポリスを見上げるアレオパゴスに立って、イエスの福音を語ったパウロは、何を見つつ語ったのでしょうか。

 31章の「回復の預言」は、前半のイスラエルから始まり、ここではユダについて約束されています。

 31節に「わたしはイスラエルの家およびユダの家と、新しい契約を結ぶ」とあります。新しい契約があるということは、古い契約がある(あった)ということです。それは、大きく言えばいわゆる旧約聖書全体と考えることができますが、さらに焦点を絞ると、神がモーセに率いられたイスラエルの民とシナイで結ばれた契約を指しています。

 その時、主は石の板に十の戒めを刻まれました。そして、これを守るならばイスラエルの民は祝福され生きるとの契約を結ばれたのです。しかしその結果は、エレミヤ書をここまで読んできて明らかです。神がお選びになった民は、この契約を守ることができなかったのです。

 33節の「わたしは、私の律法を彼らのただ中に置き、彼らの心にこれを書き記す」ということばに目が留まります。古い契約は石に刻まれたものですが、新しい契約は契約の一方の当事者の心に書き記されます。そうすると何が起こるのでしょうか。「彼らはもはや、……『主を知れ』といって教えることはない」と言うのです。それは教えることや教えられることを否定しているということではありません。

 イエスをメシア(キリスト)と信じる一人ひとりの内に聖霊がお住まいになるゆえに、個人的に神を知ることができるようになるのです。ここでの希望の預言は、イエス・キリストにおいて完全に実現したのです。