詩篇 69篇

小さなお友だちとの三日間も過ぎ、再び二人の生活に戻りました。子どもたちのパワーに、こちらも力づけられました。
本篇は衝撃的に始まります。泥沼の中でもがき、水がのどにまで入ってくるようななかから、ダビデは「私をお救いください」と神に祈ります。聖書が記すダビデの出来事にはそのような記述がありませんので、自分の受けた敵する者からの仕打ちを泥沼に沈められたように描いたのかもしれません。また、記述がなくても実際にそのような経験をしたことがあったのかもしれません。ここはまた、預言者エレミヤの体験とも重なります。⇒エレミヤ書38章6節
ダビデには敵がいます。彼らは理由なく彼を苦しめるのです。しかし同時にダビデは、正義を振りかざしているのでもありません。自分の愚かさや数々の罪過を神の御前に告白もします。自分の罪を覆い隠さず、あの人、あの人々が悪いのですと彼が神に祈らないことに、彼の真実を見ます。
彼がここで受けている苦しみは、イエス・キリストが受ける苦しみの預言でもあります。9節のことばは、ヨハネの福音書2章17節に引用されています。イエスがエルサレム神殿でいわゆる「宮きよめ」をなさった時、そのお姿を見た弟子たちは「あなたの家を思う熱心が私を食い尽くす」と書いてあるこの箇所を思い起こしたと書いてあります。
もう一つ、心に留めたのは19節の「私に敵する者はみな あなたの御前にいます」ということば。自分一人が神の御前にいるのではなく、自分を迫害する敵も神の御前にいると彼は自分の身に起こる出来事を受け止めています。大切な気づきだと教えられます。