詩篇 78篇40−72節

いつもは私たちが行くのですが、昨日からストラスブールからのお客様を迎えています。聞くと7回の乗り換えを経てわが家まで来てくださったとのこと。しかも遅れずに着いたというので、奇跡的なことでした。
まず訂正とおわびを。昨日の本欄で「みことばの光」では詩篇77篇を4回に分けて読むと書きましたが、正しくは「3回」です。おわびして訂正いたします。
自分たちの先祖たちから受け継ぎ、それをさらに子孫へと伝えていくのは、先祖たちの輝かしい実績、成功ではなく、神に背いたという本来ならば知られたくない事実。
55節まででは、神がイスラエルの民を奴隷の家であったエジプトから約束の地カナンへと連れ出すために、数々の災害をエジプトに降りかからせたと歌われます。
神がご自分の民のためになさったみわざに、彼らがどのように応えたのかが56節にまとめられています。「彼らはいと高き神を試み 神に逆らい そのさとしを守らなかった」のです。
57節の「たるんだ弓の矢のように それて行った」ということばに目が留まります。弓はしっかりと張られてこそ、そこから放たれる矢は目標を射貫くことができるのです。しかし、イスラエルの民は神の恵み深いみわざに応えることをしなかったのです。
そこから64節までの数々の罪は、カナンに定住してから士師の時代、そしてダビデが王になるまでのイスラエルの民が犯したものでした。神は彼らの罪に報いて大きな困難の中を通されました。
65節の「そのとき主は」ということばをおぼえたいと思いました。逆らい続ける民をあわれんだ主はダビデを王とし、やがてダビデの子イエスをまことの王とされました。
「そのとき」という転換点を神は、私たち一人ひとりのために用意しておられるのだと、ここから考えました。