列王記第一 21章17−29節

水曜日はプラハへの列車旅の第二回目。前回はドレスデンでの接続に失敗し、最終区間をバスの助けによってでようやくたどり着きましたが、今回は別ルート。ニュルンベルクから穏やかな丘陵地帯を経てチェコに入り、プラハを目ざしました。じつはこの文章は、プラハに到着する少し前に書いているのですが、ほぼ遅れなく到着することでしょう。
主はアハブの悪事を当然見ておられました。そして、預言者エリヤをアハブのところ遣わされたのです。戒めを破りナボテを殺してまでぶどう畑を手に入れた彼は、当然その悪事の代償を払わなければなりませんでした。エリヤは厳しいさばきのことばを携えてアハブの前に立ちました。
20節にアハブのことばとエリヤのことばとが並びます。
アハブはエリヤに「わが敵よ」と言います。エリヤの存在はアハブにとっては常にじゃまをする者、自分の敵でした。飢饉の宣告、400人のバアルの預言者殺害、そしてここでも、アハブの前に立ちふさがるエリヤ。アハブの思いとしてはまさに「わが敵よ」なのです。しかし、アハブはこの時大切な事実に気づくべきでした。それは、アハブが敵としているのは、じつはエリヤではなく神であることに…。
エリヤはアハブに「主の目に悪であることを行うことに身を任せた」と言いました。「悪を行った」とではなく、「身を任せた」というのは、妻イゼベルの策略に乗ったという意味が込められているのでしょう。
アハブは主のことば、主の戒めを知る者として、イゼベルをたしなめる責任がありました。しかし彼は「身を任せました」。主はアハブにも、そしてイゼベルにも厳しいさばきを宣告されます。そしてやがて二人は、エリヤを通して語られたとおりを自分たちの身に招くのです。
章の最後にアハブの悔い改めの様子が描かれています。それを受け止められる主のあわれみの深さをこのことからも覚えます。