みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

神のあわれみに気づく

列王記第一 20章1−21節

こうしてあなたは、わたしが主であることを知る。」 列王記第一 20章13節

 6月を迎えました。新緑が少しずつ色濃くなっています。森の中のサクランボの木には実がたくさん。それはおいしそうに色づき始めていますが、なにせ木は空を突くように高いので上のほうの実は鳥たちのご馳走なのでしょう。

 この箇所は読んでいて不思議な気持ちになります。あのアハブ、つまり北王国イスラエルに妻の力でとは言いながら、バアル礼拝を持ち込んできたあのアハブを、神がことばを語って助け、イスラエルを隣国アラムの脅威から守られたからです。

 鳴り物入りで導入したバアルの神々に、どうしてアハブはこのような危機の時に願わないのでしょうか。それは、カルメル山でのエリヤとバアルとの預言者との対決の結果を見たからでしょう。バアルが無力であることをアハブは知ったのです。

 神はこの時、何故にアハブを助け、アハブに勝利を与えたのでしょう。「アハブよ、悔い改めてバアルを捨てよ。そうするならばあなたを助ける」とは言っておられません。

 それなら助けずにさばきを…と考えるところですが、神はアハブを助けられます。どうして…? まったくこれは、神のあわれみによるとしか説明がつきません。神があわれまれ、勝利を与えられたのはアハブに悔い改めの機会を与えられたと考えられます。しかしアハブは、カルメル山を体験しても、アラムとの勝利を体験しても、神お一人を拝み仕えるという道へは進みません。

 あわれみに気づくこと、それは悔い改めのチャンスなのだということ…。