詩篇 75篇

住まいの前の通りはここ数日通行止め。舗装工事のためです。ロードローラーで固めたばかりのアスファルトが熱を持っていることで、子どもの頃未舗装の道路を舗装する工事をじっと見ていたことを思い出しました。
75篇で目に留まるのは「上げる」ということば。4−5節には、力を誇る者が自分で「角を上げる」とあります。それぞれのことばの並行関係を考えると、自分を誇る者、悪者(神を恐れない者)が自分の力を誇り、横柄な態度をとることが意味されています。
人は自分を評価します。自分自身で評価すること、また誰かが自分を評価してくれます。評価・評判によって人は一喜一憂します。良い評価を得られなければ落ち込み、良い評価を獲得できたならば嬉しいし、自分が誇らしくなるのです。ある人は自分を高くするために、他の人を貶(おとし)めます。そのようにして権力の座を得た人は、自分のことばで人を、国を動かすことができることに酔うのです。
神は「おまえたちの角を高く上げるな」と言われます。なぜなら、人を高くあげるのも低くするのも、神がなさることだからです。神がまことのさばき主だからこそ、ある者の角を高く上げ、ある者を低くされるのであり、その評価・判定は間違いがありません。
9せつの「しかし」は大切なつなぎのことばだと思います。神が悪しき者、自分を誇る者を正しくさばかれるという確かな事実の前に、今はそのような者たちが大手を振って歩いているような世の中にあって、作者は「しかし私は」と言いうる確信を持っています。自分を誇るのではなく、誰かを貶めるのではなく、とこしえまでも神をたたえ、神のみわざを告げるという決意を明らかにします。