詩篇 44篇

日曜日、午後に新しいトラム(路面電車)に乗りました。多くの乗降客がいて、順調な滑り出しのよう。でも、まだ「慣らし運転」のような走り方をしていると感じました。
詩篇44篇は、聖書が記すイスラエルの民の歩み概観するようです。1−8節には、エジプトでの奴隷状態からご自分の民を神が、その御名のゆえに救い出されたこと、そして約束の地へと導かれたことを思わせます。
そのあと9ー16節には、イスラエルが外敵によって踏みにじられる様子が描かれます。悲惨な出来事ですが、ここにはその理由、原因が明らかにされていませんが、彼らが神に背いたことによるというのは、旧約聖書の他の書に書かれています。
さらに17節以下には、そのような中で神に大胆に助けを求める祈りがあります。26節の「御恵みのゆえに私たちを贖い出してください」ということばに目が留まります。大胆に何かを行う、大胆に何かを願うというと、その人の知恵とか力量とかいうことが大切ではないかと考えます。
しかし、ここではそうではありません。本篇の作者は、「私の知恵ゆえに」とか「私の力のゆえに」ではなく、「御恵みのゆえに……」と願います。自分には知恵もなく力もないということが分かっているからこそ、ただひたすら神の御恵みに拠り頼むのです、しかも、大胆に……。