マルコの福音書 14章26−42節

しゅろの日曜日の夜、急きょピアノコンサートに行くことになりました。演奏者の魔法のような指の動きを想像しながら、良い2時間を過ごしました。大きなホールに響き渡る1台のピアノとはすごいものです。ちなみにそのピアノは日本製でした。
27―31節は、「最後の晩餐」が持たれた家からオリーブ山への道すがら、イエスと弟子たちが、特にペテロが交わしたことばでした。
イエスが弟子たちに話されたことは、すべてそのとおりに実現しました。羊飼いであるイエスが打たれたので、羊である弟子たちは散らされてしまいました。そして、イエスは十字架で死んで葬られたあと復活し、ガリラヤに行って弟子たちを待っておられたのです。これを弟子たちは素直に聞くことはできませんでした。「…散らされる」ということばゆえに、その後にイエスが語った約束を心に留めることができなかったと思います。
29節に目が留まります。ペテロのことばは、他の弟子たちへの競争心をむき出しにしているかのように、自信にあふれています。しかし、こう思っていたのはペテロだけはありません。「最後の晩餐」での弟子たちのもっぱらの関心は、この中でだれが一番偉いかということでした。
人の決意がどんなにもろいものであるかは、このあとすぐに起こるペテロのつまずきからわかります。イエスはそのこともすべて知っておられました。ゲッセマネで深くもだえ祈るイエスの近くで、ペテロたちは眠っていました。イエスは「シモン、眠っているのですか」と尋ねます。「霊は燃えていても肉は弱い」とのイエスのことばは、弱い弟子たちを恵みあわれんでいるように響いてきます。