みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

ついて行った

マルコの福音書 10章46−52節

 金・土・日と自動車でおよそ900キロ近くを移動しましたので、さすがに昨日はぐったり。しかし、少し歩いたほうが身体にも心にも良さそうということで、買い物を兼ねて歩きました。思ったとおりでした。

 ここは私の大好きな箇所。何度も読んできました。

 エリコは、ガリラヤからの旅人が都エルサレムへと一気に登って行くラストスパートのような町です。世界最古の町と言われ、さまざまな出来事が聖書に記されています。ヨシュア記にはイスラエルの民がここを不思議な方法で攻め落としたと記され、ルカはこの町に住む取税人ザアカイが木の上でイエスに出会い生まれ変わる出来事を記します。そしてマルコは、この町で物ごいをしていた目の見えない人をイエスが癒やされたことを記します。

 この出来事はマタイもルカも書いているのですが、この人がバルティマイと呼ばれていたと書くのはマルコだけです。しかし、「バルティマイ」とは「ティマイの子」という意味ですので、それが彼の名前なのかは分かりません。

 バルティマイが、「うるさい!」と制止する人々に負けずに、ますます大きな声で叫び続けたこと、しかもそれが「ダビデの子よ。私をあわれんでください」だったことに感動します。彼はイエスをメシア、自分を救ってくれると信じていたのです。ですから、誰が止めようとも彼は黙るわけにはいきません。イエスは十字架にかかるためにここから登って行かれるからです。

 イエスは、彼が何をしてほしいのかを知っておられました。しかし、あえて彼に尋ねられるのです。「先生、目が見えるようにしてください」とバルティマイは言います。これまで何十年も出しては引っ込めてきたことばを、ここぞとばかりに叫びました。

 「わたしに何をしてほしいのか」とイエスは、私にも何度も問いかけてくださったと思います。そのうち私は何度、自分の本当の必要をまっすぐに言うことができたのだろうか……。

 52節の「イエスについて行った」ということばに目が留まります。

 目が見えるようになったバルティマイは、イエスについてエリコからエルサレムへと登って行きました。彼は十字架を背負うイエスの近くを歩き、十字架でいのちを落とされる姿を目撃したのではないだろうか、そして復活の証人の一人となったのではないかと、想像が膨らみます。