みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

小犬でも

マルコの福音書 7章24−37節

 土曜日はフランスのストラスブールを日帰りしました。いつもよりも少し早めに家を出て、大聖堂を訪ね、ゆっくりと街歩きもしました。美味しいマドレーヌも食べることも…。

 聖書を読み始めると、いろいろと聞いてみたくなることが出てきます。土曜日の礼拝に出ておられた方は、信仰をお持ちではありませんが、熱心に聖書を読んでいると、質問したいことが次々に湧いてくるのだそうです。今日の箇所もその一つかもしれません。

 ギリシア人の女性の訴えを聞いた時のイエスのことばには、どんな意味があるのでしょう。27節に「まず子どもたちを満腹にさせなければなりません。子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのは良くないことです」とあります。前後関係を考えるならば、子どもたちとはユダヤの人々のこと、小犬とはユダヤの人が異邦人と呼ぶこの女性のことだと言うことがわかります。女性を小犬だなどと言うなんてという非難の声が聞こえてきそうですし、意地悪だと言う人もいるかもしれません。

 「小犬」は可愛らしいから、イエスはこの女性に親しみを覚えていたのだとの解説もありますが、ここでの意味は、やはり当時一般にユダヤの人々が異邦人を自分たちよりも低い位置に置いていたということです。イエスはそう差別していたのではありませんが、当時そのように言われていたことばを用いて、低い立場であることを、この女性が甘んじて受けるかどうかを確かめられたのかもしれません。

 28節は、この女性の賢さを表しています。彼女はイエスのことばにムキになることがありませんでした。「主よ。食卓の下の小犬でも、子どもたちのパン屑はいただきます」と答えました。ここで彼女は、イエスを主と呼びます。さらに彼女は、娘の癒やしを何よりも優先しました。言い換えるならば、イエスへの信仰が他のすべてのことにまさっていたということです。

 イエスの前にへりくだること、イエスのことばを受け止めること、それが彼女の信仰でした。