みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

身を切るような

エズラ記 10章18−44節

 牧師就任式でミュンヘンへ。合間に美術館に行きました。日曜日なので1ユーロで観賞できます。時間がないので、ルーベンスレンブラントの作品が展示されている部屋だけを訪ねたのですが、それだけでも十分でした。

 エズラ記10章後半には名前が並びます。異国人の女を妻にした人々の名前であり、それは大祭司から一般の民までのリストです。それは、イスラエルのあらゆる人々の間で異国人、異教徒との結婚が普通に行われていたことを示しています。

 この出来事は、そのような結婚をしていた人々の名前を公表してよしとするというものではありませんでした。彼らは妻とも子どもとも別れるという選択を迫られたのです。本章の初めの部分には、このような文字どおり身を切るような改革は、一人の罪の悔い改めから始まりました。

 当事者を吊るし上げるというようなやり方ではなくて、心に示された者は名乗り出るということでした。ですからここに描かれているのは、神の民の悔い改め、リバイバルです。しかし、ヒューマニズム(人間中心主義)から考えるならば、これは許しがたいことです。しかし、これほどまでに厳しい改革が進んだということは、放っておいたら神の民としてのあり方が全くゆがめられてしまうという危機にあったからなのです。

 常に神の前の私とは何か、どのように歩むかをおぼえ続けることが必須だということを、ここは私に教えています。