みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

だからこその礼拝

詩篇 120篇

 どこからか甘い香りが漂ってくると見回すと、藤の花でした。本日の写真は違いますが…。

 詩篇120篇は、いわゆる「都上りの歌」の最初にあります。「みことばの光」には、「『都上りの歌』について」という記事が掲載されています。それによると、120―134篇の表題につけられている「都上りの歌」は、神の都シオン、エルサレムに礼拝者が上って行く時にともに歌った巡礼歌だと一般には言われています。エルサレム神殿の「婦人の庭」から「男子の庭」まで15段の階段があり、祭司たちが1段上るごとに1篇ずつ歌ったという節もあります。

 120篇は、エルサレムに上る高揚感や期待のようなものを歌っているのではありません。ここには、詩人が主に向かって自分の苦しみを訴えています。そして彼は偽りの唇や欺きの舌に苦しめられているのです。

 5節には、メシェク、ケダルという場所の名前が出てきます。メシェクは黒海と地中海の間にあり、ケダルはアラビア砂漠にありました。なぜかは分かりませんが、詩人(たち)は、エルサレムから遠くにいるのです。しかし彼には、主を慕い主に祈る信仰がありました。

 身の回りが厳しい中にあるからこそ、詩人は都に、シオンに上ろうという思いを募らせるのです。ですから、本篇は「都上りの歌」の最初にふさわしいのです。

 今も信仰者は、普段の生活の中で苦しみが次々に襲い、偽りや欺きに振り回されています。だからこそ、礼拝へを渇望するのです。そのような思いで、ともに集まるのです。