歴代誌第二 25章

公園にいろいろな木があります。そろそろかな? 妻はある木の下をよく見ながら歩きます。そして、実を見つけると嬉しそうです。その木とは、胡桃(くるみ)です。「収穫の秋」が来ました。
歴代誌の記者は、アマツヤ王について「彼は主の目にかなうことを行ったが、全き心をもってではなかった」と評価します。そのように、本章にはアマツヤが行った主の目にかなうこと、なぜ「全き心をもって」ではなかったのかの理由として挙げられる出来事を記しています。
アマツヤは、主が遣わされた神の人の助言に従い、北王国イスラエルの傭兵に頼らずに、セイル(エドム)と戦って勝利します。しかし、そのあとがいけません。エドムの神々を持って来て祀(まつ)り、それを拝むのです。主からの助言どおりにしたので勝利したにもかかわらず、主に感謝するどころか、主を捨てて主の怒りをかうことになります。
敗北した敵の神々には力がないと分かったはずなのになぜ…? という素朴な疑問が湧いてきます。その理由は書いてありません。しかし、たとえ力がない神々だとしても、この時のアマツヤには魅力的に見えたのかもしれません。また、勝利は自分の功績だと考えた彼は、神々を持ち帰ることに何のとがめを感じることはなかったのかもしれません。
アマツヤの人生はここから転落していきます。彼も父ヨアシュとともに、聞くべき助言を遮って自分の考えを通してしまったことが破滅につながるのです。「 高慢は破滅に先立ち、高ぶった霊は挫折に先立つ」という箴言16章18節を思います。