ユダの手紙 1−16節
晴れ渡った青空の月曜日、空気は真冬のように冷え込んでいましたが、近くの公園を歩きました。次第に行動が規制されつつありますが、公園に行くのは禁じられていませんので、可能な限り外に出ることにしています。読んでおられる皆さまはいかがでしょうか。
きょうと明日とでユダの手紙を読みます。この手紙を書いたのは、主イエスの弟のユダ。彼は自分を「イエス・キリストのしもべ、ヤコブの兄弟ユダ」と紹介して手紙を書き出します。ヤコブはヤコブの手紙を書きました。
主イエスの兄弟たちのことで思い起こす福音書のエピソードは、マルコ6章1−6節などに記されています。郷里の人々はイエスについて、「この人は大工ではないか。マリアの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄ではないか。その妹たちも、ここで私たちと一緒にいるではないか」と言ってつまずいたとあります。
ヨハネ7章5節には「兄弟たちもイエスを信じていなかった」ということばもあります。そのようなユダやヤコブたちが、そろって手紙の初めに「イエス・キリストのしもべ」と言っていることに、神の恵みを覚えます。イエスを歴史上の偉人、宗教家としていた私たちも、自分をこのように見るようになったのは全くもって、神の恵みのほかありません。
1節の「父なる神にあって愛され、イエス・キリストによって守られている」ということばから慰めをいただきました。改めてこのような時に、愛され、守られているのだというメッセージを受けられることで、縮こまりがちな自分の背中がすっと伸びるように思います。