ペテロの手紙第一 3章13−22節

日曜日は当地から200キロほどのケルンにある日本語教会の礼拝に出席しました。前回は鉄旅でしたが、今回は新型コロナウィルスのこともあり、自動車で向かいました。私の場合は一年に一度の訪問なのですが、皆さんが変わらずに礼拝に出席しておられる姿に勇気づけられました。
ペテロの手紙は、2章11節から新しい神の民であるキリスト者がこの世でどのように生活するのかについての勧めが連ねられています。キリスト者にとってこの世での立場は寄留者、旅人です。だからといって、「旅の恥はかき捨て」などと言うような生き方ではなく、足が地に着かないような生き方ではなくて、立派に生きるようにと勧めるのです。
13節には、「もしあなたがたが良いことに対して熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう」とあります。「みことばの光」に「楽観的な信頼」ということばで説明されています。確かに、キリスト者が良い生き方をしていれば誰も害を加えないというのは、そうなのかもしれません。しかしペテロはすぐ後に、「義のために苦しむ」「人々の脅かし」ということばを続けています。
楽観的な信頼などすぐに崩れる、現実はそんなに甘くはないと言いたいのでしょうか。そうではなくて、どんなに苦しむことがあっても、脅されるようなことがあっても、そのことを正しい態度で受け止めるならば、害を加える者は誰もいないと言いたいのではないでしょうか。
興味深いのは19節。解釈の難しい箇所ですが、聖書新改訳はここの動詞を「宣言しました」と訳します。参考までにその前の版の新改訳聖書は「みことばを語られた」と訳し、新共同訳聖書は「宣教されました」と訳しています。諸説ありますが、20節とのつながりで考えると、ここではキリストがノアの時代に堕落した御使いたちにご自分の勝利を宣言されたというように理解することができます。
すべてに勝利するキリストがともにおられる生活なのですから、だれも害を加えることはできないのです。