詩篇 54篇
ドイツに短期留学していた方が3月に帰国するので、きのうが最後の礼拝。当地から60キロ近く離れた町から日曜日ごとに通っておられました。帰国したら「就活」とのこと。歓送の時に「わたしが行きたい進路よりも、神さまが導かれる進路へ…」と一言。祈っています!
本篇も表題(新共同訳聖書では1、2節)が歌われた時の背景を伝えています。ジフ人がサウルにダビデの居場所を密告したのです。ジフはヘブロンの南にあり、ダビデの逃走経路を聖書地図でたどりますと、この時ダビデはサウルから逃れてユダの荒野を東西南北さまよい歩いていました。「イスラエルツアー」ならワクワクする道程ですが、いのちを狙われてひたすらに逃げるわけですので、ワクワクどころではありません。
緊迫した事情の中で、ダビデは何を神に祈るのでしょうか。神の全能の力にひたすらすがって救ってほしいと祈ります。ダビデのことを密告したジフの人々を「見知らぬ者たち」とも言います。サウルから追われるだけでも必死なのに、知らない人々が自分のことを見張り立ち向かってくるというのですから、どんなにか恐ろしいことでしょう。そのような恐れから自分を守る術は、ただひたすらに神に拠り頼むこと。ダビデはそれを行うのです。
5節と6節との間には、時間的な経過があると考えられます。神はダビデを大きな危機から救ってくださったのです。「私の目が敵を平然と眺めるようになった」ということばが目に留まります。*写真はマサダ(イスラエル)

 