みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

神を恐れていたから

ネヘミヤ記 7章1—60節

 土曜日に洗礼を受けた方が、日曜日の礼拝で、ご自分がどのようにして聖書を読むようになり、イエスを主と信じるようになったかを話してくださいました。「60年かかって宿題をやり遂げた」ということばが心に留まりました。高校時代の先生が、聖書を読むようにと促してくださった宿題を、60年後の今年の2月に旧新約聖書全巻を読み通して終えたとおっしゃっていました。

 「これらのことが書かれたのは、イエスが神のキリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである」とのヨハネの福音書20章31節のことばを思いました。これは、ヨハネの福音書が書かれた目的ばかりでなくて、聖書が書かれた目的をも述べています。聖書を読むことの意義を覚えさせられた証しでした。

 ついに、城門に扉が、しかもネヘミヤ自身の手によって扉がつけられて、城壁の再建工事は完成しました。けれども、これで終わりではありません。むしろ始まりでした。ネヘミヤはすぐに、門衛と歌うたい、レビ人を任命しました。

 門衛を任命したのは、完成した門や城壁そのものに頼るのではなくて、守る者の必要を覚えたからです。また、歌うたいとレビ人は礼拝のための奉仕者。ここから、何のためにエルサレムの城壁を再建したのかが浮かび上がってきます。また、エルサレムを治める人には兄弟のハナニ、それからハナヌヤという誠実で、多くの人にまさって神を恐れていた人物を任命します。城壁の再建工事で露呈した敵とユダの主だった人との間のつながりに危機感を抱いたネヘミヤは、身近にあって信頼できる人物を選んでいます。

 何かをするとき、だれかを選ぶとき、何を基準に人を選んだり、人にお願いするだろうかと探られます。