エズラ記 5章
薔薇の美しい頃です。大きなものは一つで、小さなものはまとまって存在を表しています。大きな一つを写真に収めるのは下手でも何となくさまになるように思うのですが、小さなものは難しいといつも思います。
16年近くにおよぶ神殿再建工事の中断についに終わりの時が来ました。そのきっかけは神のことば。神はハガイとゼカリヤという二人の預言者によって、工事に着手するようにと彼らに命じました。
「みことばの光」では、ハガイ書もゼカリヤ書も読んでからそれほど経っていません。長い間の中断で民からは神殿を建て上げる意欲が萎(な)えてしまっていました。ハガイ書1章2節には、「万軍の主はこう言われる。『この民は「時はまだ来ていない。主の宮を建てる時は」と言っている』」とあります。
一度止まってしまった働きを再開するのには、初めに動き出す以上の力が必要です。この時は帰還後のユダヤ人の大きな危機でした。ですから神は、二人の預言者を遣わして、止まっていた車輪を大きく動かされました。
再開は、その地を治めるペルシアの総督の耳に入りました。彼は自分の個人的な感情によってではなく、公人として為すべきことをしました。ユダヤ人が、神殿再建工事がキュロス王から出たと聞いた総督タテナイたちは、彼らの訴えを自分で握りつぶすことなく、真偽をダレイオス王に確認しようとして動きます。
しかも総督は、ユダヤ人たちのことばをそのまま王に届けるのです。自分たちだけで神殿を再建するということがきっかけで中断してしまったことが、今度は相手側の総督の公平な判断も用いられて動き出そうとしています。
ここを読んで思うのは、気づかないところで、気づかない時に神の目が注がれているということ。