みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

ここで何をしているのか

列王記第一 19章

 きのうは、国立(くにたち)市の国立キリスト教会で礼拝を捧げました。子どもたちが最前列に座り、青年たちがスペシャルな賛美をする礼拝。最前列で寝入っている子どもの姿に、神にある平安を覚えました。よい時間をくださった神さまと教会の皆様に感謝いたします。

 華々しい活躍のあとの落ち込み…。エリヤは王の妻イゼベルの脅しのことばに恐れて逃れます。一人で王に対峙し、バアルの預言者たちと対決した、あのエリヤなのかと思うほどの弱々しさです。「神のために」として何事かを成し遂げた喜びや充足感が何かの拍子にすっかり消し飛んで、一瞬にして意気消沈してしまう…エリヤに共感できるのは、私たちにもそのような体験があるからでしょう。

 神は変わらずにエリヤを覚えておられます。

 神はここで、エリヤが弱気になって「自分のいのちを取ってください」とのことばをお責めにならずに、食べ物と飲み物を与え、休息をお与えになります。「ここで何をしているのか」と二度問われ、エリヤのことばに具体的な答えをお示しになるでもありません。かみ合わない対話のようにさえ思えるのですが、エリヤに語る神のことばは、このときのエリヤには最もふさわしいものだったのではないのでしょうか。

 「ここで何をしているのか」との問いかけは、今の自分に何を気づかせようとしておられるのかと、静まります。