詩篇 123−124篇

連接バスに乗りました。ずいぶんと長さがありますが、ロータリーを上手に回る運転に驚きました。
きょうは二つの詩篇を読みます。
123篇では、繰り返される「いっぱいです」ということばが目に留まります。そのように神に訴えているのは「私たち」です。ひとりではなく民が、蔑みに会っているのです。
もう一つ目に留まるのは「あわれんでください」と、繰り返されていることば。彼らが蔑まれているのは、自分たちが神のみこころに背くようなことをしたためだということを考えさせられます。どんなに神の心にかなわない者であったとしても、私たちをあわれんでくださいと窮状を訴えることができるのは、まさに神のあわれみです。
124篇は、前篇とのつながりで味わうとしたら、主が彼らをあわれみ、救ってくださったことへの感謝と賛美だと読むことができます。ここでも、「もしも 主が私たちの味方でなかったら」ということばが繰り返されています。同じことばを繰り返すのは、詩の手法の一つかもしれませんが、詩人が心からそのように思っているのだということが伝わってきます。
かつては敵であった者が、今は「主が私たちの味方」だと言うことができるのは、キリスト者にとっては、ただイエス・キリストによってだけなのだと、感謝が心から湧いてきます。